伊藤若冲と煎茶道の祖・売茶翁をたずねて京都へ
京都にある煎茶道の中興の祖「売茶翁(ばいさおう)と伊藤若冲ゆかりの地をご紹介します。
今回は江戸時代の京都の町絵師である伊藤若冲こと米斗翁(べいとおう)、そして煎茶道(せんちゃどう)の祖である高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)ゆかりの地である京都のスポットをご紹介します。
伊藤若冲ってどんな人?
伊藤若冲とは、江戸時代中期に京都で活躍した画家です。
1716年に京都錦市場(にしきいちば)の青物問屋「桝源」(ますげん)の当主である桝屋 源左衛門(ますや げんざえもん)の長男として生まれました。
裕福な家にうまれ、画の勉強に集中することができ、若いころは京都狩野派(かのうは)にまなび、宋・元・明の中国古画の研究、さらには実物の写生も重要視し、家の庭に鶏(にわとり)を飼い、写実的に描く練習をしていたと言われています。
つまり当時の画風(日本画、中国画、水墨画、写実画)のほとんどを学んだ方です。
その後、独学で画を描きはじめ、伊藤若冲の代表作である「動植綵絵(どうしょくさいえ)」がうまれました。
いまでは東の葛飾北斎、西の伊藤若冲と並び称されるほどの知名度をほこります。
煎茶道の祖・売茶翁(ばいさおう)ってどんな人?
千利休(せんのりきゅう)が現在の茶道の祖、侘び茶の祖と称されるのに対し、煎茶道(せんちゃどう)の中興の祖・茶聖(ちゃせい)とも呼ばれるのが佐賀県出身の禅僧である高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)です。
黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の禅僧として仙台(※)や鳥取など日本各地を巡り、中国との交流で中国文化が盛んな長崎で煎茶を学びました。そして高齢になってから(一説では60歳を過ぎてから)、京都にてお茶を売って法を説く、売茶の業をはじめたと言われています。
売茶翁がはじめた売茶の業(お茶を淹れて売ること)は、通仙亭(つうせんてい)という名称で”日本初の喫茶店”といわれ、売茶翁が禅を説きながら茶を煎じて飲ませるサロンのようになり、翁のまわりには、多くの知識人や芸術家が集まりはじめました。
それため伊藤若冲とも交流があったそうです。
※…仙台市では、「みちくのくせんべい」という銘菓が有名な「売茶翁」という和菓子屋があり、市民に親しまれています。
煎茶道ってなに?
煎茶道(せんちゃどう)とは、茶道の流派の1つで、急須をもちいて茶葉からお茶をいれることが特徴的な茶道です。
江戸時代に京都の永谷宗園(ながたにそうえん)が煎茶を大量生産する方法が開発し、抹茶の茶道のあとを追う形で日本全国に普及しました。
いまでは日本全国に数百の煎茶道の流派があるといわれてます。
煎茶道をたしなむ人として有名なのは、大正期に活躍した夏目漱石(なつめそうせき)や、お宝鑑定団の常連でもある文人画の巨匠である富岡鉄斎(とみおかてっさい)などがあげられます。
伊藤若冲の生家である京都の台所「錦市場」と「錦天満宮」
京都うまれの町絵師である伊藤若冲は、世界的に有名になった江戸の浮世絵画家・葛飾北斎(かつしかほくさい)の対をなす、西の国民的画家として大人気になりました。
それもそのはず、伊藤若冲のうまれは先述したとおり京都の台所といわれ今も活気あふれる「錦市場(にしきいちば)」です。
京都の台所「錦市場」(にしきいちば)にある青物問屋(あおのものどんや)である「桝源」(ますげん)の当主である桝屋 源左衛門(ますや げんざえもん)の長男として生まれました。
京都を代表する観光地にもなってますし、野菜をはじめ魚や肉、漬物や生活雑貨などすべてそろっているので、京都の方も日常使いされるエリアです。
ーーーー基本情報ーーー
名称:錦市場(にしきいちば)
住所:〒604-8054 京都府京都市中京区西大文字町609番地
営業時間:お店によって異なります。
アクセス:阪急京都線「京都河原町駅」から徒歩3分、「烏丸駅」から徒歩7分
伊藤若冲を見るならここ「相国寺承天閣美術館」
臨済宗相国寺(りんざいしゅうしょうこくじ)は、1392年に夢窓疎石(むろうそせき)を開山とし、室町幕府第三代将軍 足利義満(あしかがよしみつ)によって創建された臨済宗(りんざいしゅう:日本三禅宗の1つ)相国寺派の大本山です。
京都五山(きょうとござん)の中心でもあり、如拙(じょせつ)、周文(しゅうぶん)、雪舟(せっしゅう)といった日本の水墨画の基礎を築いた画僧を多く輩出している、美術の名門のお寺です。法堂を中心に、御所の北に大伽藍(だいがらん)を形成する、京都を代表する名刹です。
この相国寺の大書院(だいしょいん:書斎のこと)に、50枚にもおよぶ襖絵を描いたのが伊藤若冲です。
この大書院の障壁画は若冲が44歳の時の作品です。描くことを依頼したのは当寺、相国寺の大典顕常(だいてんけんじょう)和尚です。若冲が40歳で隠居し、絵師としての活躍をはじめたばかり。キャリアがあまりなかった若冲に、大書院の大切な障壁画を50枚も頼んだのは、よほど傑出した才能があったのでしょうか。
うれしいことに、相国寺のなかにある「相国寺承天閣美術館(しょうこくじじょうてんかくびじゅつかん)」に、そのときの襖絵や障壁画がありますので、ぜひご覧ください。
ーーーー基本情報ーーー
- 名称:相国寺承天閣美術館(しょうこくじじょうてんかくびじゅつかん)
- 住所:〒602-0898 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入上る相国寺門前町701
- 問合せ先:075-241-0423
- アクセス:京阪出町柳駅から徒歩15分、京都市営地下鉄今出川駅から徒歩10分。
”相国寺承天閣美術館”で見てほしい、伊藤若冲が描いた煎茶道の祖「売茶翁」
売茶翁(ばいさおう)が禅道と世俗の話をしながら問答を講じながら煎茶を出していた日本初の喫茶店は「通仙亭(つうせんてい)」と呼ばれていました。先述したように、文化サロンのようなものだったので、茶人以外にも、京都の市中の人々をはじめ絵師や貴族、武士、そしてここ相国寺の和尚である大典顕常和尚も通っていたといわれています。
この売茶翁サロンを理解するにあたり、おもしろい言葉があります。
ー茶銭ハくれ次第 只のみも勝手 只よりまけ申さず候ー
「茶銭は黄金百鎰(いつ)より半文銭までくれしだい。 ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず」
(訳:このお茶の代金は小判二千両から半文までいくらでも結構。ただで飲んでも結構。しかしただより安くはいたしませんよ。)
当時高価なものであったお茶を、無料(ただ)でもよい、と言い切るのは興味深いいいまわしですね。
稼ぐのが目的ではなく、そのサロンでお茶を飲む空間でうまれる何かがとても魅力的だったんですよね、
なんともこのサロンを経験してみたいものです。
そのサロンには、伊藤若冲もきておりました。伊藤若冲の絵を見た売茶翁は感銘をうけ、二人の親交はふかまり、やがて売茶翁の売茶道具である水注(すいちゅう:注子)に描かれていた中国老子の言葉が、若冲の名前の由来になったと言われています。
ー大盈若沖ー
「大盈(だいえい)は沖(むな)しきがごとくにして」
大きく満ちたものは、まるで空っぽであるかのようである。
これもまた、そのはたらきが窮る(終わる)という事が無い。という意味だそうです。
売茶翁の生き方に感銘をうけた伊藤若冲は、その想いや生き方、売茶翁のエネルギーをそのままに画として描き、それが現在相国寺に常設展示されています。
伊藤若冲にご興味のあるかたはぜひお見逃しなく!
長くなりましたので、次に続きます。
投稿者プロフィール
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宮城県出身。
仙台の大学卒業後、500年の歴史を誇る老舗和菓子屋に入社。京都にて文人趣味や煎茶道、生け花、民俗画を学び、日本文化への造詣を深める。和菓子屋での経験を活かし、その後、日本文化専門のマーケティング会社でブランディングとPRマーケティングに従事。現在はフリーランスの茶人として活動しながら、日本文化のPRサポートや「みんなの日本茶サロン」を主宰。伝統と現代を結びつける活動を通じて、日本文化の魅力を広めている。みんなの日本茶サロン編集長。
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