杜甫はどんな詩を書いた?代表作の有名な詩や李白との関係、絶句や生涯、捕まった理由や詩聖と呼ばれる理由を解説!

杜甫(とほ)は、唐代の代表的な詩人の一人であり、後世に「詩聖」と称されるほど中国文学史において重要な人物です。彼の詩は、政治的な混乱や個人の苦悩をリアルに描写し、幅広いテーマを取り上げているため、多くの人々に愛され続けています。この記事では、杜甫の代表作、李白との関係、生涯にわたる絶句、捕まった理由、そして「詩聖」と称される理由について解説します。

杜甫の生涯

杜甫は712年に生まれ、770年に亡くなりました。彼は名門貴族の家系に生まれたものの、幼い頃に父を亡くし、貧しい生活を余儀なくされました。官僚の道を志したものの、政治の混乱や自身の不運により、長い間、官職につけず苦しい生活を送ります。しかし、その体験が彼の詩にリアリティと深い感情をもたらしました。彼は現実の社会を見つめた詩作を続け、晩年は地方を転々とする苦しい流浪生活を送りました。

杜甫の代表作

杜甫の詩は、中国文学の中でも「律詩」「絶句」と呼ばれる詩形で知られ、その内容は幅広いです。以下は杜甫の代表的な詩です。

1. 「春望」(しゅんぼう)

この詩は安史の乱による国の混乱を嘆き、家族との別離の悲しみを詠んだ詩です。杜甫の心の中に渦巻く不安と悲しみが、自然や風景を通して表現されています。

国破れて山河あり
城春にして草木深し
時に感じて花にも涙を垂れ
別れを恨んで鳥にも心を驚かす

2. 「登高」(とうこう)

晩年の杜甫の名作で、彼が人生の悲哀と自然の永遠さを感じながら、流浪の身である自身の孤独を描いています。

風急にして天高く猿嘯し
渚清くして沙白く鳥飛ぶ
無辺の落木は蕭蕭として下り
不尽の長江は滔滔として来たる

3. 「兵車行」(へいしゃこう)

この詩は戦争の悲惨さと人々の苦しみを訴えた作品です。杜甫は庶民の視点から戦争を批判し、兵士やその家族の苦労を深く描写しています。

車轔々として馬蕭々たり
行人弓矢を帯びて手を提げるは刀なり
父母は子の行くを哭き
妻子は門に臥して啼く

杜甫と李白の関係

杜甫と李白(りはく)は、同じ時代を生きた唐代の詩人でありながら、詩風は大きく異なります。李白は自由奔放で幻想的な詩風が特徴で、天才的なインスピレーションを元にした詩作が多いのに対し、杜甫は現実の社会や自らの苦悩を真摯に描いた詩が多いです。二人は一度、洛陽で出会い、深い友情を結びました。杜甫は李白を深く尊敬しており、その才能を「詩仙」と称賛しています。杜甫の詩の中には、李白を題材にしたものが複数存在しますが、中でも「夢李白」という詩が有名です。この詩では、李白との再会を夢見つつも、現実の困難に苦しむ杜甫の心情が描かれています。

絶句とは?

絶句は、漢詩の形式の一つで、4句からなる短詩です。杜甫はこの形式を得意とし、自然や人間の感情を簡潔に、しかし豊かに表現しました。杜甫の絶句には、自然の風景を背景にして、人生のはかなさや憂いを詠むものが多く、彼の感受性と技術が詰まっています。

杜甫が捕まった理由

杜甫が捕まった理由は、政治的な混乱に巻き込まれたためです。彼が生きた時代、唐王朝は安史の乱という大規模な反乱に直面しました。755年に発生したこの反乱は、杜甫の詩作に大きな影響を与えました。彼自身も反乱軍に捕らえられ、一時は軟禁されるという過酷な体験をしました。この時期に、杜甫は国や民の混乱、そして自らの悲しみを詠んだ詩を数多く残しています。

杜甫が「詩聖」と呼ばれる理由

杜甫が「詩聖」と呼ばれるのは、彼の詩が持つ深い道徳的・社会的な意味と、卓越した詩作技術によるものです。彼は庶民の生活や苦しみを詩に反映し、時代の現実を鋭く描写することで、現代でもその価値が高く評価されています。彼の詩は単なる芸術作品ではなく、道徳や正義、社会への批判を込めたものであり、その精神性から「詩聖」として敬われています。

まとめ

杜甫は、中国詩の巨匠として知られ、彼の詩は政治的、社会的なテーマから個人的な感情まで幅広く、深い感動を呼び起こします。代表作「春望」や「登高」などを通じて、唐代の社会や彼の生きざまを垣間見ることができるでしょう。また、李白との友情や絶句といった彼の詩の特徴、さらに「詩聖」と呼ばれる理由も、彼の詩作の奥深さを示しています。杜甫の詩は、時代を超えて多くの人々に感銘を与え続けているのです。

投稿者プロフィール

東叡庵
東叡庵煎茶道講師/日本文化PRマーケター
宮城県出身。
仙台の大学卒業後、500年の歴史を誇る老舗和菓子屋に入社。京都にて文人趣味や煎茶道、生け花、民俗画を学び、日本文化への造詣を深める。和菓子屋での経験を活かし、その後、日本文化専門のマーケティング会社でブランディングとPRマーケティングに従事。現在はフリーランスの茶人として活動しながら、日本文化のPRサポートや「みんなの日本茶サロン」を主宰。伝統と現代を結びつける活動を通じて、日本文化の魅力を広めている。みんなの日本茶サロン編集長。