仙台市の和菓子屋「売茶翁」と父
売茶翁についてさらに詳細に知りたい方は下記の記事をご覧ください。
私の父は、仙台で生まれ育ち、40年もの間、華道の先生として多くの生徒を指導してきました。華道を通じて日本の美と心を伝えることに情熱を注いできた父にとって、仙台市の老舗和菓子屋「売茶翁」は、ただの和菓子屋ではありませんでした。それは、父の華道教室に欠かせない存在であり、私たち家族の食卓を彩る特別な和菓子の供給元でもありました。
父が「売茶翁」と出会ったのは、若い頃、華道の師匠から紹介されたことがきっかけでした。その師匠が、稽古後のひとときに「売茶翁」の和菓子をふるまい、その美味しさに感動した父は、以来、その味を心に刻み込んだと言います。特に、**「みちのくせんべい」**は、父のお気に入りで、華道教室の休憩時間に生徒たちに提供する定番のお菓子となりました。
華道教室は、静寂の中に生け花の美しさを追求する場ですが、休憩時間にはその緊張感が一転して和やかな雰囲気になります。生徒たちは、華道の厳しさから一息つき、父が用意した「みちのくせんべい」を楽しむ時間を心待ちにしていました。「みちのくせんべい」の軽やかな食感とほんのりとした甘さが、華道の緊張感を和らげ、生徒たちにとっても至福のひとときだったことでしょう。
また、父は**「干菓子」**もよく生徒たちに提供していました。干菓子は、その繊細な美しさと上品な甘さが、華道の美意識に通じるものがありました。生徒たちは、その干菓子を手に取り、華道の作品を鑑賞するように、和菓子の美しさを味わっていたようです。
私たち家族にとっても、「売茶翁」の和菓子は特別な存在でした。家では、父が大好きな**「羊羹」**をよく食べました。「売茶翁」の羊羹は、丹波大納言、丹波白小豆、備中白小豆など、国産の豆にこだわって作られています。父は、その豆の風味を存分に楽しむことができる羊羹を特に愛していました。羊羹を一口食べるたびに、父はその濃厚な味わいに満足そうな表情を浮かべていました。
羊羹の中でも、**「丹波大納言」は、父のお気に入りでした。その深い甘みと、しっかりとした豆の食感が、父の好みにぴったりだったようです。また、「丹波白小豆」や「備中白小豆」**も、父が好んでいた羊羹の一つです。これらの羊羹は、豆の自然な甘さと風味が生かされており、父はそれを楽しみながら、私たち家族にもその美味しさを共有してくれました。
季節ごとの**「生菓子」**も、家族の団欒の時間を豊かにしてくれました。春には桜餅、夏には涼しげな水羊羹、秋には栗蒸し羊羹、冬には雪見だいふくなど、季節感を大切にした陶器の皿にのせられた和菓子が、私たちの食卓を彩りました。父は、その時々の季節を感じながら、和菓子の美しさと味わいを楽しんでいました。
父にとって、「売茶翁」の和菓子は、単なる甘味ではなく、日々の生活の中で日本の美意識を再確認するための一つの手段だったように思います。和菓子を味わいながら、父はいつも華道の精神と通じるものを感じていたのかもしれません。そして、その和菓子を通じて、私たち家族にも日本の伝統文化の奥深さを伝えてくれました。
父が華道教室で生徒たちと過ごす時間や、家族と一緒に「売茶翁」の和菓子を楽しむ時間は、私にとってもかけがえのない思い出です。父の指導を受けた多くの生徒たちも、和菓子を通じて華道の精神を感じ、豊かな時間を過ごしたことでしょう。
今でも、父と「売茶翁」の和菓子を楽しんだ日々を思い出すたびに、その味わいが口の中に蘇ります。華道を通じて日本の美を追求してきた父と、和菓子という形でその美意識を共有してくれた「売茶翁」。その二つの存在が、私にとっての日本の伝統文化を支えてくれた大切なものです。
これからも、父が愛した「売茶翁」の和菓子を味わいながら、その味わいの中に、父の教えや華道の精神を感じていきたいと思います。
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投稿者プロフィール
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宮城県出身。
仙台の大学卒業後、500年の歴史を誇る老舗和菓子屋に入社。京都にて文人趣味や煎茶道、生け花、民俗画を学び、日本文化への造詣を深める。和菓子屋での経験を活かし、その後、日本文化専門のマーケティング会社でブランディングとPRマーケティングに従事。現在はフリーランスの茶人として活動しながら、日本文化のPRサポートや「みんなの日本茶サロン」を主宰。伝統と現代を結びつける活動を通じて、日本文化の魅力を広めている。みんなの日本茶サロン編集長。