おはぎとぼたもちの違いとは?お彼岸に食べる理由や夜船と北窓の違い、歴史をご紹介

おはぎとぼたもちの違い

おはぎとぼたもちの違いを解説

2月の和菓子といえば「ぼたもち」が有名です。

お彼岸の時期に、ぼたもちを食べるのが楽しみの1つでもありました。

しかしぼたもちそっくりの「おはぎ」を秋に食べます。

見た目はそっくりなのですが名称が異なるこの2つの和菓子の違いを中心に、作り方レシピ動画や、さらに関連する「夜船」と「北窓」の違いも解説します。

おはぎとぼたもちの違いとは

おはぎとぼたもちの違いは、季節によって異なる呼ばれ方であるという点にあります。おはぎは、秋の植物である萩が咲くころに食べることがおはぎと呼ばれています。ぼたもちは、春の牡丹の花が咲くころに、小豆を牡丹の花に見たてて作ったことからそう呼ばれています。

なのでおはぎとぼたもちは、どちらも餅をあんこで包んだ和菓子ですが、季節ごとの花の名称である「おはぎ=萩」、「ぼたもち=牡丹」になぞらえて呼び方を変えているということでした。

おはぎとは

おはぎとは、米をすりつぶした餅をつぶ餡やこし餡で包んだものです。

日本全国で、9月にある秋分の日前後のお彼岸の時期に食べる季節の和菓子です。

名前の由来は、秋に咲く赤い萩の花と、小豆の赤い色をなぞらえておはぎと呼ばれています。

ぼたもちとは

ぼたもちとは、おはぎと同じく、米をすりつぶした餅に、牡丹の花に見立てた小豆のつぶ餡で包んだ和菓子です。

日本全国で、3月にある春分の日前後のお彼岸に食べる風習のあるお菓子です。

名前の由来は、春に咲く丸い牡丹の花と、おはぎの丸い形が似ているため、ぼたもちと呼ばれています。

夜船と北窓とは

夜船と北窓は、ぼたもちやおはぎの別名です。餅をつぶ餡やこし餡で包んだおはぎとぼたもちは、夏は「夜船」冬は「北窓」とも言われています。春と夏ですでに名称が異なるのですが、この夜船と北窓も言葉遊び的な言いまわしです。どういった言葉遊びかといえば、夜に出る「月」と。餅搗きの「搗(つ)き」をかけたものから来ています。

ぼたもちやおはぎは基本的に米をついて作らないため、餅”搗き”がないとして、「月の出ない日の夜は、いつごろ船が着いたかわからない」ので「夜船」と称したり、「北側の窓からは、西から東へと動く月が見えない」ことから「北窓」と呼ぶようになりました。

また夏の夜に浮かぶ船や、北窓から見れる白い粉雪が、潰した米の白とあんこの黒をイメージさせたのではないかとも言われています。

おはぎとぼたもちの半殺しとは

おはぎとぼたもちの半殺しとは、餡の中にはいっている米の状態を意味しています。ぼたもちとおはぎは、餅つきをせずに米やうるち米を潰しながら丸めて餅状にするため、米の形を残した状態を半殺しと呼んでいます。

おはぎやぼたもちをお彼岸に食べる理由

おはぎやぼたもちをお彼岸に食べる理由は、いつくか理由があります。おはぎやぼたもちに使われる小豆の赤色は、邪を払う魔除けの効果があるため、ご先祖様にお供えをしたのちに、先祖をしのびながら家族と食べたと言われています。

おはぎとぼたもちの歴史

おはぎとぼたもちの歴史は、平安時代からはじまったと言われています。上述したように、小豆の赤い色が、邪を払う、災難が降りかからないようにする効果があると考えられていて、邪気・穢れ・祟りを払うために供えられていました。

お彼岸とは

さらにお彼岸について解説します。

彼岸とは、悟りの境地であるパーラミターのことで、三途の川を挟んだ向こう岸、すなわち「彼岸」と称して例えたのが私達日本人の伝統行事です。そして、私達の生きる煩悩の世界はこちら側の岸「此岸(しがん)」と呼ばれています。日本古来の自然観や先祖崇拝の影響から、亡くなった家族やご先祖は死後の世界では「彼岸」へと渡り、夏のお盆や春秋のお彼岸に、私達の生きる此岸に姿を現すと考えられるようになったと言われています。彼岸である春分の日と秋分の日は、太陽が真東から上り真西へと沈む特異な日で、それによって彼岸と此岸とが近くなったと考えました。これらの時期に先祖供養をすることでご先祖の冥福を祈るとともに、自らもいつか迷いのない此岸に到達できるよう願ったそうです。

おはぎの口コミやレビュー

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ぼたもちの口コミやレビュー

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