円山応挙とは?伊藤若冲と同じ時代に活躍した絵師の歴史や特徴、代表作を解説

京都の町絵師伊藤若冲と同時代に活躍した円山応挙(まるやまおうきょ)についてご紹介します。

京都の町絵師として、世界的にも高い知名度を誇る伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)、若冲について調べていたら、どうやら同時代に池大雅(いけのたいが)や円山応挙(まるやまおうきょ)といった、教科書に掲載されるぐらい高名な絵師たちが、同時代に京都にいたことがわかりました。

江戸時代中期の京都のことは、文献や資料からしかわかりませんが、おそらくそれぞれが技術を高め、もっと良い絵を描こうと切磋琢磨しあっていたのだろうと想像がつきます。

今回はそんな江戸時代の京都で活躍した円山応挙について調べたことをまとめましたので、ぜひ最後までご覧いただけますと幸いです。

円山応挙とは

円山応挙(まるやまおうきょ)とは、1733年6月12日に京都で生まれ、絵師として活躍した日本人画家です。当時で言う江戸時代中期に京都で活躍した絵師で、のちに日本画の形式である「円山派(まるやまは)」の租となった人物です。
京都府亀岡市に生まれ、幼少の頃は、今もその地に残る真言宗金剛寺(しんごんしゅうこんごうじ)に預けられます。

その後は京に上り、書画骨董や人形、玩具類を扱う玩具商「尾張屋」(おわりや)に丁稚(でっち※)として奉公するようになります。

※丁稚(でっち)とは、職人・商人の家に年季奉公(ねんきぼうこう)をする少年のことです。

円山応挙と絵画の出会い

この尾張屋は、江戸時代では珍しい玩具商ということで外国からの製品を取り扱うことも多く、円山応挙はここで「眼鏡絵」(めがねえ)というものに出会ったといわれています。
眼鏡絵とは、江戸時代に描かれた浮世絵の1種です。45度傾けた鏡に映した絵をレンズを通して覗いてみる風景画の一種で、それにより原画は絵や文字が左右反対に描かれていることが特徴です。

当時、海外からはいってきた”のぞき眼鏡”が、レンズを通して見ると絵の遠近感が強調されて立体的に見えることから、そう呼ばれるようになりました。
尾張屋の主人である中島勘兵衛(なかじまかんべえ)は、円山応挙が描いた眼鏡絵を見て、絵の才能を見抜き、江戸時代以前から日本画で有名な狩野派の画家である石田 幽汀(いしだ ゆうてい)に入門させました。

円山応挙の絵の特徴


円山応挙の絵の特徴は、なんといっても「写実的(しゃじつてき)」というところです。
絵のテクニックとしては、見たままを写し描くという意味である写生を得意としていました。

今でこそ精密に絵を描くことが普及していますが、かつての日本画は抽象的だったり、どこかを強調したり、写実的に描くことは少なかったようです。

その中で円山応挙は、まるで写真のように、目で見た情景を描くため、特に珍しがられたということです。

円山応挙の代表作とは

円山応挙が描いた代表作をご紹介します。

雪松図屏風

円山応挙の最も有名な代表作は、京都袋中庵が所有する国宝「雪松図屏風」です。

雨竹風竹図屏風

京都園光寺が所有する重要文化財の「雨竹風竹図屏風(うちくふうちくずびょうぶ)」も人気です。

藤花図屏風

東京の根津美術館が所有する重要文化財「藤花図屏風」が挙げられます。

遊虎図

また香川県の金毘羅宮が展示する「遊虎図」は、よく美術館の特別展で見られます。

虎図のレビュー

幽霊図

幽霊画の先駆けとして人気のある「幽霊図」も高い評価を得ています。

仔犬図

滋賀県のMIHOミュージアムで観覧できる仔犬図も人気です。

仔犬図のレビュー

仔犬図のレビュー

円山応挙と相国寺の大典顕常(だいてんけんじょう)について

円山応挙は、京都相国寺(しょうこくじ)の和尚である大典顕常(だいてんけんじょう)と、交流があったそうです。

NHKドラマ「ライジング若冲」では、永山瑛太さん演じる美しき大典和尚が特徴的です。

大典顕常は、伊藤若冲を見出しており、もしかしたら絵画の才能がある2人を引き合わせたのも大典和尚かもしれません。

大典顕常とは、別名”梅荘顕常”(ばいそうけんじょう)とも呼ばれ、円山応挙や伊藤若冲らと同じく江戸時代中期の京都にて活躍した禅僧です。

とりわけ中国文学や絵画に詳しく、煎茶道の祖といわれる売茶翁(ばいさおう)や、伊藤若冲、池大雅など日本画家を支援し続けたことで有名です。

円山応挙ゆかりの京都相国寺(しょうこくじ)とは

円山応挙ゆかりの相国寺とは、正式名称が萬年山相國承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)と言い、京都市上京区にある臨済宗(りんざいしゅう)相国寺派の大本山です。

本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)、室町将軍の足利義満(あしかがよしみつ)が開基しており、1392年に完成、あの天龍寺(てんりゅうじ)の庭で有名な夢窓疎石(むそうそせき)が開山しています。足利将軍家や、伏見宮家(ふしみのみやけ)、桂宮家(かつらのみやけ)にゆかりの深い禅寺で、臨済宗(りんざいしゅう)の名刹である京都五山の中では、第二位にあたる寺院です。

円山応挙ゆかりの京都相国寺の基本情報はこちらです。

  • 住所:〒602-0898 京都府京都市上京区相国寺門前町701
  • 問い合わせ:075‐231‐0301
  • 拝観時間:10時~16時
  • アクセス:京都市営地下鉄「今出川駅」から徒歩5分

円山応挙ゆかりの地をご紹介します。


円山応挙は、京都亀岡市で生まれながら、早くから都にでて丁稚をしていました。絵の才能を見出されてからは、滋賀県三井寺の門跡の門主である円満院祐常(えんまんいんゆうじょう)がパトロンとなり、一気に知名度を上げ、京都以外にも活動の幅を広げていきました。

そんな円山応挙ゆかりのスポットをご紹介します。

円山応挙を支えたパトロン的存在「円満院門跡」


圓満院(えんまんいん)は寛和三年(987年)に、村上天皇(むらかみてんのう)の第三皇子である尊円法親王(そんえんほうしんのう)により創立された天台宗(てんだいしゅう)の寺院です。

近江(おうみ※今の滋賀県)を代表する三井三門跡(みいさんもんぜき)の一つであり、開基当時は、あまりの荘厳さから近江の平等院と呼ばれていました。
境内には後水尾天皇ゆかりの宸殿(しんでん)があり、さながら内裏のような雅な雰囲気が漂います。

円山応挙の代表作の『七難七福図』、『孔雀牡丹図』などは第二次大戦後まで三井寺円満院に伝来したものであり、『雪松図』は三井家に伝来したものです。

円山応挙を支えたパトロン的存在「円満院門跡」の基本情報

円満院門跡の住所や連絡先は下記の通りです。

  • 住所:〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町33番地
  • 連絡先:077‐522‐3690
  • 拝観時間:9時~16時30分
  • アクセス:京阪三井寺駅、大津市役所前駅からそれぞれ徒歩10分ほど

円山応挙ゆかりの地・京都亀岡市にある「金剛寺(こんごうじ)」の障壁画

江戸時代を代表する画家・圓山応挙と所縁が深いことから「応挙寺(おうきょでら)」とも呼ばれています。応挙は、幼少時期(8歳~15歳頃)に金剛寺で小僧生活をおくり、その後京都へ出て、圓山派を樹立しました。応挙56歳のとき、本堂全面の襖と壁面57面に「山水図(さんすいぞう)」「波濤図(はとうず)」「群仙図(ぐんせんず)」を描き寄進し、現在は国の重要文化財に指定されています。

毎年11月に開催されている「応挙展」(おうきょてん)では、金剛地所蔵の応挙の品が一堂に展示されます。

ぜひ見に行きたいですね。

円山応挙ゆかりの金剛寺の基本情報

金剛寺の住所や連絡先は下記の通りです。

  • 住所:〒621-0029 京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43
  • 問い合わせ:0771-22-2871
  • アクセス:JR亀岡駅より京阪京都交通バスで20分「おばた橋」下車後に徒歩2分、亀岡I.Cより車で約20分

お寺が丸ごと円山応挙「大乗寺(だいじょうじ)」

兵庫県と鳥取県の海沿いエリアまたがる国立公園の山陰海岸(さんいんかいがん)のすぐそばに位置する亀居山大乗寺(かめいさんだいじょうじ)は、天平17年(745年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって開かれた高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)のお寺です。

江戸中期の画家・円山応挙やその一門の画家たちの襖絵(ふすまえ)などがたくさんあるので「応挙寺」(おうきょでら)の名で親しまれております。
円山応挙がまだ無名の頃、当時のご住職である密蔵上人(みつぞうしょうにん)がその才能を見い出し、銀三貫目を与えたそうです。それをもとに江戸で学び名をなした応挙は、後に息子や弟子を連れてこの寺に戻り仏間他13余りの部屋の襖絵を描いたといわれております。

お寺が丸ごと円山応挙「大乗寺(だいじょうじ)」の基本情報

大乗寺の所在地や連絡先をご紹介します。

  • 住所:〒669-6545 兵庫県美方郡香美町香住区森860
  • 拝観時間:9時~16時
  • 問い合わせ:079‐636‐0602
  • 拝観料金:大人/800円 子供/500円(小学生)
  • アクセス:山陰線香住駅下車(タクシーで5分)

売茶翁に興味を持たれた方はぜひ下記の記事もご覧ください。
みちのくせんべい|売茶翁

売茶翁とは